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お昼休みが終わってデニーズから会社に戻る時だった。古びた店構えのおもちゃ屋、その店先で80%OFFの文字が目に留まった。年が明けカレンダーをたたき売りしているようで、80%OFFの紙が貼られているのは今をときめくおしりかじり虫のカレンダーだ。「SALE」、「バーゲン」といった言葉にはただでさえ弱いのに、安売りされているのがおしりかじり虫である。これに乗らない手はない。価格は書かれていないが、なにしろ80%OFFだ。元値は知らないが、たとえ1500円だったとしても300円で手に入る。ヤツがかじってナンボなら、今のこっちは買ってナンボ。立て付けの悪い引き戸を文字通りひきずって店の中にいるおやじに声をかけた。
「すみません」悪いことをしたわけでもないのについ謝罪をしてしまった。きっとこれはよくないことだ。
「なんでしょう」
「表に出ているカレンダー、いくらですか?」
おやじは年のせいなのか、もともと商売が好きではないのか、やや億劫そうな表情を見せながら店先に出てきた。
「どのカレンダー?」
「これです。おしりかじり虫」
店先に吊されたカレンダーの束の中で、一番前に吊されているおしりかじり虫を指し示した。漠然とカレンダーを指さしたのではなく、話が一刻も早く済むように80%OFFの貼り紙を指さして言った。そしてようやくその時になって気がついた。

てっきり80%OFFと書かれていると思っていたが、なんと「80%OF」だった。
スペルミス。まずそう思った。そう思うのが人情だろう。だが、もしこれが店側の巧妙な戦略だったらどうなるのか。おやじはなかなか答えない。嫌な予感がした。
これが前置詞の「of」だとしたら話は全く逆になる。~~の80%だと、仮にカレンダーの値段が1500円の場合300円しか安くならない。そんな英語の表現があるのかどうかは知らないが、目の前のおやじと英語の文法について語り合う気もない。
「ああ、これね。ええと、いくらだったかな」
値段を把握していないらしくカレンダーの裏側を見ているが、そこは完全な白紙で価格らしき数字は一切書かれていない。となりの子供向けのカレンダーには1260円と書かれていたが、おしりかじり虫だけはまったくの白紙だ。本能が危険信号を出した。これはまずい。そして数秒ほど思案の後、おやじは言い放った。
「500円でいいわ」
やられた。この時点でOFが前置詞ではなく、単なるスペルミスだと言うことが推測できた。いくらなんでも壁掛式のカレンダーの標準小売価格が625円ということはない。すると80%OFFということになるのだが、おやじの言う500円が正しいとすると標準価格は2500円ということになる。あり得ない値段ではないが、いくらなんでもふっかけすぎというものだ。このままではおしりをかじられるどころか、尻の毛まで抜かれてしまう。
そんな簡単な暗算も出来ないと思っているのか、それともカレンダーの相場も知らない世間知らずだと思われたのか。いずれにしてもバカバカしい。この話はここで打ち切りだ。
「ならいいや」
「え?」
私が500円で手を打つと確信していたのか、おやじは心底意外そうな表情で私を見た。
「そんなに高いならいらないから」
「いやいや、だったら400円でいいよ」きびすを返そうとした私におやじは明らかに慌てた。
300円で買おうが500円で買おうが、その差は200円しかない。普段の私の無駄遣いに比べれば実に微笑ましい値差である。だが80%OFと銘打ったその根性が気に入らなかった。さらに言えば、それに釣られた自分自身も許せなかったのだが。
「あのさ、八割引で400円ということは、元の値段は2000円ということだよね。他のカレンダーは1260円なのにこのカレンダーだけずいぶん高くない?」
おやじは明らかに怯んだ。そしてまたカレンダーをめくり価格を調べている。そしてどこにも値段が書かれていないことを確認してから私に向き直った。
「いや、本当にこのカレンダーだけ高いんだよ」
そうか。そう来たか。ついに開き直るのだな。やはり最初に謝罪の言葉からスタートするのは良くないのだ。こちらは悪くもないのに主導権が相手に渡る。おしりかじり虫よ、君とは縁がなかったようだ。私は特別君のことを好きではなかったが、私の甥は残念に思うことだろう。だが仕方がない。自分で納得できないものには100円でも払ってやるものか。

「うん、分かった。もういいんだ。安かったら買おうと思って聞いただけだから。悪かったね」私は謝った。
「ちょっと待ってよ。400円って高い?」
もう答える気もなかった。はっきり言って400円は安い。最初からそう書いてあったなら迷わず買っただろう。だが事ここにいたって、そういう問題ではなくなったのだ。80%OFなのだ。価格表示のないカレンダーなのだから、百歩譲って元値が1500円で売値が300円というところだろう。そもそもおしりかじり虫のカレンダーは、となりで1260円で売っているカレンダーよりサイズが小さいのに、それを2000円というのはあんまりだ。
「いや、いいんだ。ごめんごめん」不本意ながらなぜか私はまたも謝っている。そして会社に戻ろうとした時に、店の中からおばさんが現れた。やや険悪なムードの我々をまったく気にかけず、かなり間延びした口調で問いかけた。
「なあに?カレンダー?」
おやじは助けを求めるようにおばさんを見つめた。
「おしりかじり虫、400円じゃ高いって言うんだよ」おいおい、ちょっと待ってくれ。私が納得できないのは80%OFの表示の方だ。400円は元の値段を無視した値段だろう。
だが、おばさんは今までの私たちのやりとりを一切無視するかのようにあっけらかんと言った。
「あれ?あたしこの前おしりかじり虫300円で売ったわよ」
おばさんはつかつかと私の前まで歩み寄り「全然売れないのよ、おしりかじり虫。300円でいいから買ってよぉ」と悪びれもせずに底抜けの笑顔で囁いた。
この時一番立場が無かったのはおやじである。少しだけ同情したが、おばさんが私のところまですり寄ると同時に「本当におしりかじり虫は高えんだよ・・・」と捨て台詞を吐いて店の中に入っていったので、同情するのをやめた。

少しだけ心の中にわだかまりが残ったが、賞味期限が11ヶ月半残っているカレンダーが300円なら悪い買い物じゃない。もちろん400円だって同じなのだが、人間には自分を納得させる言い訳が必要なのだ。
百円玉三枚を渡すと、おばさんはカレンダーの詰まった段ボール箱を抱えて言った。
「こんなに余ってるの。おしりかじり虫でしょ、売れると思ったのよ。良かったらもっと買わない?」
たしかにカレンダーはほとんど売れ残っているようだった。子供がいるわけでもないのに、真っ昼間から大人三人がおしりかじり虫、おしりかじり虫と連呼しているのは少々現実離れしていてかなり間抜けだ。
屈託のないおばさんの笑顔は実に商売人向きだと思ったが、私は苦笑いしながら「ごめん、ひとつでいいや」とまた謝った。
「そう?買ってくれる人がいたら教えてね。ありがとう」
おばさんはおしりかじり虫の巣を元の場所に戻しながら笑顔でそう言った。

果たして甥はこちらの期待通りに喜んでくれた。惜しむらくはカレンダーの意味がまだ分からないので、用途が絵本と変わらなかったことだ。食い入るように12月までめくって、しばらくは眺めてくれた。そして甥に飽きられた後、おしりかじり虫は姪に食べられた。おしりかじり虫も食物連鎖の只中に存在していることを認識させられた。おかげで表紙はヨレヨレのボロボロである。

ネットで調べると結局1260円が標準小売価格のようだった。都会のおしりは苦かったのか、甘かったのか。少し複雑な気もするが、きっと私は良い買い物をしたに違いない。
世知辛い世の中にはなったけれど、いまだ多くの人間の心は曖昧だ。夕焼けのグラデーションに色の境界が無いように、人の心も曖昧だから美しくおもしろいのだ。

あれから一週間が過ぎた。まだ巣の中ではたくさんのおしりかじり虫が出番を待っているのだろうか。なんとか一匹残らず晴れ舞台に立ってもらいたいものだ。
いまでも会社の近所には「80%OF」の貼り紙が掲げられている。もちろん値段は書かれてはいない。

コメント(8)

お昼休みという短い時間でさえ、このような壮大な(そして笑っちゃう)ドラマが繰り広げられるものだとは!

そして、おしりかじり虫が、食物連鎖の中に組み込まれているとは!

勉強になりました。

そして、「そんな簡単な暗算も出来ない…」というところ、わたくし、少し傷つきました…

ひ!そこ傷つきましたかっ!?(゜ロ゜ノ)ノ
予想外の展開にビビリ中です。
ところでいかがですか?一家にひとつ、かじられてみませんか?

80%OFがウケました

おしりかじり虫の巣を「あ~、あれがそうね!」って見てみたい気がします(笑)

ウケていただきありがとうございます。
というわけでご覧いただくためにもおひとついかがですか?(笑)

>人間には自分を納得させる言い訳が必要なのだ。

名言です!


おやじさんとおばさんの対比がおもしろい(笑)
行ってみたくなりました
古びた店構えのおもちゃ屋さんへ

ありがとうございます!
さぁ、古びた店構えのおもちゃ屋さんで待ち合わせしましょう♪
たぶんまだ売ってます。値段は交渉次第(笑)

あれ? 勢ぞろいしてる。(爆)

いや~、とにかく笑えて、笑えて.....。
死にそうです....。(>

ええ、勢揃い(笑)
楽しんでいただければ幸いです。コロコロ。

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