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私はカタチから入る。もともと無気力な人間であるため崇高な夢や希望を持って生きているワケじゃない。したがって、だいたい何を始めるにしても動機が不純であることが多い。言ってみれば写真だってそうだ。誤解を恐れずに言えば、被写体に特別な事情がない限りカメラなんて1台あればいいし、レンズだってなんだっていいはずだ。でも写真を撮り始めた頃は、一眼レフのカメラを手に入れなければ気が済まなかったし、レンズも「アレが欲しい。コレじゃなきゃ画角が・・・」なんてもっともらしいことを言って散財を繰り返した。もちろん今もってその病は完治していないが、カメラ関連のことについては、なんとなく自分に必要なものかそうでないかを判断できるようになった。理解するのにたいそうな時間をかけてしまったが、それはまあよい。問題は新しいことに興味を持ったときのことだ。まだ何も始めていないのに金がかかって仕方がないのだ。写真のようにそこそこ続いてくれればいいのだが、すぐに飽きてしまうと凹むこと甚だしい。そろえたツールを目の前にして暗澹とした気持ちにさせられる。新しいことに取り組むのは私にとってハイリスクなのだ。そして同時にこうも思う。趣味というのは何故かくもお金がかかるものなのか。お金のかからない趣味が欲しい。

架空線

しかしながらさらにこうも思う。趣味とはお金を使ってなんぼではないのかと。コストに対する成果を求めるのは仕事の中だけでよいはずだ。稼ぐことに対し浪費する快感がそこにある。趣味とはきっとそういうものだ。趣味において純粋にその道を究めていく求道者タイプもあるだろうし、私のようなミーハーも存在する。私にとって大事なことは雰囲気だ。その雰囲気に浸かることが明日への活力にもなる。

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